「先生の年賀状」
私は手紙を書くのが好きだ。その前に文字を書くのが好きだ。私は模倣が上手いらしい。小学一年生で初めて字を習う時、ドリルに印刷されてる綺麗な字を見ながら、隣の空欄に真似をするように書いていく。勉強としては初めて字を書くはずなのに、なんだがとても上手くできた。先生もすごく褒めてくれた(小学一年の担任は板谷先生。確か当時二十七歳。肌が白くて目も髪も茶色くて綺麗な女性だった。今はもう名字が変わったかな。コンタクトユーザーだったからか、目がすぐ赤くなって、うさぎ先生と呼ばれていたこともあった。←そんなに流行らなかった。そして字がものすごく綺麗だった)。単純な私はいい気になって「自分は字が上手い」と思い込んで、小学校に止まらず今まで生きてきた。なぜか日によって、字の上手い日と下手な日があったのだが、上手くかけた日はただその字を眺めていることだってあるほどだった。
いつだったか、親戚宅に行った時、おばちゃんが「全然書かんようになってから字がどんどん下手になってくわ。書かなあかんな。」と言っていた。私は大学まで進学したので、二十歳そこそこまで筆記用具を持ち歩いて字を書く機会が毎日と言っていいほどあった。そうか、勉強がなくなったら字が下手になっていくのか。
大学でコピーバンドを組んだ時は歌詞のカンペを一生懸命書いた。なぜかそれがとても清々しく、コピーバンドを組まなくても歌詞を書いて一人で歌っていた(自分の中で「写経」と呼んでいて、落ち着け自分、という時に実行する)。歌詞の紙ペラがたくさんできてきたので、カンペノートを作った。「家で一人で歌ってるんです。」と先輩(海人さん)に話したところ、「みんなの前でやろうよ!なつゆは歌ったほうがいいよ!」と言ってくれて、カフェ(今もお世話になっている我らが白楽cafe doudou)で弾き語りする場に誘っていただいた。コピーバンドでは時々歌っていたけれど、歌う人として招かれ、人前で歌うのはその時が初めてだった。その頃にサークルの同期とバンドを組んでいたけど、実はインストバンドで自分がステージで歌うなんて想像できなかった。私が今歌っているのは、先輩がきっかけを与えてくれたと言っても過言ではない。話が逸れた。
勉強する時間が減ると字を書く機会も減ってゆく。ここで親戚のおばちゃんの言葉がフラッシュバックするのである。そうか、字が下手になるのか。だったら何か書こうと考えた結果、手紙に行き着いた。突然手紙を送りつけるのはちょっと怖いので、ひとまず年賀状から始めようと、実家の自分の勉強机から小学・中学時代に届いた年賀状を引っ張り出し、今も住所が変わってなさそうな人を探した。主に同級生で仲の良かった子の実家かお世話になった先生方へ片っ端から年賀状を出した。
「お久しぶりです。お元気ですか?私は今二十歳です。横浜の大学に通っています。楽しいです。」
なんて、当たり障りのないことを書いたと思う。
お正月からしばらくたって、当時一人暮らしをしていた部屋のポストに返事が来た。小学四年の担任だった伊達先生、小学六年の担任だった伊藤先生、中学三年の担任だった山口先生、小学校の音楽の臨時講師だった桂川先生、ピアノを習っていた谷先生、などなどなど(板谷先生にも送ったけど、住所が変わっていたらしい)。
「年賀状ありがとう。びっくりしました。」
「楽しい、そう聞いて安心しました。」
「なつゆちゃんきっと綺麗なお姉さんになっているんだろうな。」
「元気そうで何より。体に気をつけて。」
…
どれもこれも私の知っている字だった。懐かしくて、暖かいそれは、気づかないうちに張り詰めていた私の心をほぐしていき、気づけば年賀状を手に持ったまま、私はぼろぼろと泣いていた。
文:藤岡なつゆ
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