さて、新年も明け、 この記事が載ってるのが二月のものなので、これを書いている元旦二五時。1ヶ月ほどのタイムラグがある。
一月のものにある記事を書いたのがおよそ一週間前くらいなの で、僕としては一週間ぶり、読む人にしたら一ヶ月ぶり。 この時間のズレも面白いなぁと思う。
さて、暇である。2017年、数えてみたところ記録してあるだけでも162本の映 画を見ていた。約2.2日に一本。その実、週末何もない日が来ると朝から起きて一本、朝飯か昼飯かわからない飯を食いながら一本、サウナに行って帰ってきて酒とつまみで一本、夜飯を食いながら一本、一二時回って寝る前に一本。こんな感じで映画を見ている。 これは誰にも共感してもらったことがないが、映画を見てる時間もある意味「暇」である。だから物食ったら飲んだりじゃないと見れないのだ。そうしてある瞬間に引っかかる台詞が出てきたりする。
「あぁこの映画の言いたいことはこれなんだな。」
とその物語を反芻しながら次の休みの日まで楽しむというのが僕の映画の1つの見方である。 人生にそのままかえってくるような台詞も沢山ある。 台詞フェチなのだ。言葉っていいですよね。台詞をここで紹介したところでとりとめのないことになってしまうので、映画のもう一つ大事な言葉としてタイトルというものについて。原題と邦題の違い云々についても色々ありそうだが、ここでは無視することにしよう。
僕らにとってのいい言葉とはいい日本語でしかあり得ない。
この書き物のタイトル「散歩する、素晴らしき哉、おいしい生活」も三つの映画のタイト ルからとっている。まず、ロイ・アンダーソン作 「散歩する惑星」から。なんとも奇妙なタイトルだ。惑星というスケール感と散歩というスケール感。このちぐはぐさがなんとも言えない。また僕は散歩という言葉が好きだ。なんとも身軽な、ふらふらした自由度の溢れ方と呑気さ、しかしそれもまた名付けられて拘束されているという言葉としてのジレンマが。僕は実際に散歩をするのは嫌いだけど。
次は、フランク・キャプラ作「素晴らしき哉、人生」から。原題はIt's .wonderful life ということで、あまり変わらないですが、やはり「しき哉、」という語感と感じと読点がいいですよね。古い映画なので時代もあるかと思いますがこの言葉遣いの違いでここまで味が出ている。好きです。
最後はウディ・アレン作「おいしい生活」から。ウディ・アレン作品にイケてる邦題を付けるというのはとても難しそうだな、と思う。作品が外国の風刺を描きながら、それが日本人にも伝わる普遍的で文化的な人間生活への風刺にもなっている。という作品だからだ。アメリカを始め、外国のジョークを日本語に訳してもイマイチ伝わらない上に、風刺は日本人が恐らく苦手としているユーモアだ。
実際、ウディ・アレン作品で原題を変えて捻っている邦題は少ない。「おいしい生活」を見てもらえるとわかるだろうが、相当に作品の本質を掴み、冒険しないとこんなに的を得て皮肉に富んだ邦題は出てこないはずだ。あっぱれです。
さて、三記事目にしてやっと映画の話を書き始めて見ました。他にもタイトルが好きな映画は沢山あります。
「何という行き方!」
「女が階段を上がる時」
「生きるべきか死ぬべきか」
「天国に行けないパパ」
「8 1/2( はっかにぶんのいち)」
「おしどり喧嘩 傘」
「江分利満氏の優雅な生活」
「いのちぼうにふろう」
などなど。
TSUTAYA でタイトル一目惚れレンタルする時のワクワク感。そのどれもがタイトルと内容 の関係がとても味わい深いものでした。
2018年もどんな映画に出会えるか楽しみに生きようかと思います。今夜はこのへんでお開きということで。でわ。
文:umihayato
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