「人生というラッキーについて」
最近、ラッキーという映画を見た。ハリー・ディーン・スタントン最期の主演作、そして遺作。
ハリー・ディーン・スタントンを知ったのはグリーンマイルのトゥート・トゥート役だった。
拍子抜けした役所も相まって、脇役として醸し出す強い雰囲気が印象に残った。
その後は、「ストレイト・ストーリー」「きっとここが帰る場所」などなど。
出演作を全て見たとか代表作を見たとかそんなことではないけど、僕の好きないくつかの映画には欠かさずに重要な脇役を演じている役者だった。
そんな彼の遺作が渋谷アップリンクで上映されるとのことでいてもたっても居られなく、仕事に行く前、時間をこじ開けて見に行った。
結果から言うと、僕の2018年今のところナンバーワンの映画となった。
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ハリー演じる主人公のラッキーは九十過ぎの独り身。 毎日同じ時間に起きて、体操、一杯のミルク、行きつけのスタンドでクロスワードパズル、マリア像に悪態をつきながら、夜はBar で顔なじみと呑む。そんな彼を脳梗塞が襲い、死が迫っていることを伝える。少しずつ彼の日常が変わっていく。
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劇中でバーの店主は言う。
「あるクイズ番組がある。挑戦者は数ある革鞄から一つを選び、それを最後に開けるために様々な問題に挑戦する。一問ごとに選ばなかった鞄の中身が明かされていく。あぁ、あれも欲しかった。これも逃してしまった。自分が選んだ鞄の中身の価値は最後までわからない。」
なるほど確かに人生はそんなものだろう。 主人公の過去に何があったかは明かされないが、失くしてしまったもの。手に入らなかったもの。もう二度と戻ってこないもの。自分にはもともと無いようなもの。それらを想って絶望して、世界を産んだ神を憎み孤独を選んでもきただろう。病気や事故や戦争から幸運にも生き残って「しまった」と思ったかもしれない。
しかし、いざ目前に迫ると孤独に死んでいくことが怖くもなった。その恐怖を認め出した時に、ラッキーは変わっていく。
人生の最後に鞄を開けた時に「まぁ悪くはなかったな」と思えるような人生だと感じられる瞬間や人との関わり。それに出会う幸運を手に入れるのは、自分を見つめて受け入れる寛容さと素直さなのかな。
それが孤独な死の恐怖を和らげてくれたらなと思う。
そう、最期に思えるようにしたいな。この映画に出会えたLuckyも鞄に入れて月まで持っていきたいと思います。
劇場を出てポケットから出したタバコがアメスピのオレンジじゃなかった事だけが、僕の後悔でした。
ハリーディーンスタントン最後の僕らに向ける微笑み。
死が迫る。いい人生ではなかったかもしれない。でも最期に微笑めれば。さよなら。
文:umihayato
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